ぼくが小さい頃。
小さいといっても、小学生の低学年の頃。
夏休みになると、2歳上のいとこの家によく泊りに出かけていた。
ぼくの父は、パチンコと酒をこよなく愛し、家庭サービスとは無縁の人だった。
そこで、母親方のいとこと遊ぶのが大好きだった。
そんな頃のぼくといえば、
今現在と比較すると、「寂しさ」とか「悲しさ」という感情部位の感受性が敏感であったように思う。
いとこの家に遊びに行けば、
帰り際、いとこと離ればなれになるのが嫌で、地下鉄のホームで泣き喚いて、
毎度おばあちゃんを困らせた記憶がある。
また来週に泊りに来るというのに、楽しい時間の終わりがもの凄く嫌だった。
自分の家が嫌いだという訳ではないのだが、酷く悲しかった。
また、
いとこの叔父さんが、毎年夏休みに、いとこと一緒に旅行に連れて行ってくれた。
その旅行の帰路が、すごく嫌だった。
やっぱり、叔父さんの車の中で泣き喚いて、「帰りたくない」と騒いだ記憶もある。
今日は、8月1日。
あまり好きではない日。
ぼくの中では、夏休みは7月31日までが楽しかった。
8月に入ると、夏の終わりまでカウントダウンが始まるようで嫌だった。
学校は嫌いではなっかたが、夏の終わりまでの31を数えるのが酷く悲しかった。
あれから、大人になり、
当然のことながら、そんな敏感な感受性は鈍ってしまった。
でも、
今日、仕事の帰り道、
夕日が山の稜線に沈み、夕空と夜空が曖昧なころ。
車のラジオを、ふと、AMに合わせると、野球ナイター中継が流れてきた。
遠くの紫色ににじんだ空を眺め、
いとこの叔父さんに連れて行ってもらった、旅行の帰り道を思い出した。
決まってドラゴンズのナイター中継を聴いてたからだ。
叔父さんの車は、旅行の帰りの高速で、
時速100キロ超えると、「キンコン・・・・・、キンコン・・・・・・・、キンコン・・・・・・・、」と
警告音がなっていたのを思い出した。
なんだか、
思い出して、涙が出そうになった。