今日、
ぼくの家の、お墓参りに行ってきました。
ぼくの父は、わりと早くに他界しました。
14年前に、56歳という若さで、がんが進行して亡くなりました。
宗派は浄土真宗みたいで。
ぼくも詳しく知らないのですが・・・・・・・・・・・・。
浄土真宗では故人の為の、お盆のお迎えや精霊流しなどの考えは無いようです。
浄土真宗のお考えでは、人が亡くなり故人となれば阿弥陀様の御導きで西の御浄土に旅立たれあちらの世界で安らいでおられこの世に戻って来られることは無いそうです。
父の死も、ずいぶん昔のような気がして、風化していましたが、
帰って来ないと知ると、なんだか寂しい気がします。
ある日、
知り合いのお身内で不幸があって、お葬式に参列したときのご説法を思い出しました。
「故人が亡くなられて、
法事などの節目があると思います。
お経をあげるだけの形式的なセレモニーになってはいけません。
その時だけは、故人を偲んで、思い出ばなしをすることが、最善の供養になるんですよ・・・・。」とのことで。
お墓を掃除しながら、
いろいろと思い出しました・・・・・・。
今や、ぼくも、
2児の父親です。
条件的には、亡き父と同じ立場になりました。
そのとき、40歳になる父は、どう感じて、何を思っていたのだろう?
いまじゃ、聞けないワケで・・・・・・・・。
父が死んだ、16年後を嫌でも意識します。
生きるとは?
そして、死とは・・・・・・・?
自分の子供たちに、リンクしながら、いろいろと思いました。
お墓で手を合わせながら・・・・・・・・・。
炎天下のなか、
アブラゼミの脂っこい鳴き声が、うるさく降り注ぎます。